国立大学法人 福井大学 大学院工学研究科 生物応用化学専攻 沖昌也研究室
研究概要

研究テーマ1:エピジェネティクスのメカニズム解明と応用技術の開発

 我々の研究室では「エピジェネティクス」と呼ばれる現象に関して、様々な視点からアプローチしています。分子レベルでのメカニズム解明には従来の分子生物学的解析手法・生化学的解析手法・遺伝学的解析手法等を利用しますが、従来の方法だけではなく新しい解析方法を確立し、他の研究室とは異なった視点からの「エピジェネティックな現象の解明」を目指しています。また、得られた知見をもとに、将来的には応用技術の開発にも生かしたいと考えております。
  この「エピジェネティックな現象」は真核生物において幅広く保存されており、我々の研究室では主に真核生物の1つである「出芽酵母」をモデル生物として用い研究しています。我々がなぜ出芽酵母を用いて研究を行っているかの詳細は下の「出芽酵母とは?」を参考にしてください。
  現在は、出芽酵母染色体上でエピジェネティックに遺伝子の発現が切り替わる領域を同定し、解析を進めています。エピジェネティックな遺伝子の発現切り替わりにはクロマチン構造が変化し凝集した「サイレンシング機構」が密接に関わっています。このサイレンシング領域の近傍に蛍光タンパク質 EGFP を挿入すると、下記写真 (図1) のようにエピジェネティック変異株の場合、蛍光タンパク質が存在する酵母と存在しない酵母が見られます。
(A) 野生株
(B) エピジェネティック変異株
図1:野生株と変異株における個々の細胞に存在するEGFP タンパク質の比較
 上記写真は1つの細胞から分裂を開始させ、追跡しており、全く同じ DNA 配列を持った酵母内において蛍光タンパク質の発現状態が分裂を繰り返すことによって変化していることを示しています。まさに「エピジェネティクス」であり、エピジェネティックな遺伝子発現状態の切り替わりを単一細胞で撮影したのは初めてです。現象は捉えられたのですが、どのようなタンパク質が関与し、どのように調節されているか、全く分かっておらず、分子レベルでのメカニズムを説き明かすのが今後の大きな課題です。解明出来れば、発生・分化の過程での調節機構は勿論のこと、様々な後天性疾患のメカニズム解明にも貢献出来るのではないかと期待しています。

研究テーマ2:エピジェネティックな視点からの白内障治療薬の開発

 誰もが発症する後天性疾患として白内障があります。老化や糖尿病によって眼の中の水晶体が白く濁ってしまう病気です。患者さんの数が多い病気なのですが、手術以外の治療方法がありません。私たちの研究室では白内障も「エピジェネティックな遺伝子発現制御機構の破綻」が原因ではないかと考え、研究を行っています。  現在はラットの水晶体をガラクトースが入った培地で培養し、白内障を発症させながら解析を進めています。これまでの研究成果として、エピジェネティックな発現制御を司る因子を阻害すると白内障の発症を抑えられることが分かりました(図2)。この結果は白内障もエピジェネティックな発現制御機構が関与する疾患であるということを示唆しています。エピジェネティック発現状態を制御することによって白内障を予防できたという報告はなく、世界で初めての例です。今後は分子メカニズムを解き明かし、治療薬の開発を目指します。
図2:白内障治療薬開発を目指した実験方法

研究テーマ3:真核細胞とリポソームの融合によるin vitro核モデルの開発

 ゲノム DNAは生物が生きるために必要な全ての情報であり、単細胞生物である酵母で12 Mbp 、ヒトでは  Mbp の大きさです。このゲノムは細胞の核構造の中で染色体という形で維持されています。DNA は短い場合、安定な物質であり、試験管内で保存することができます。一方ゲノム DNA のような長鎖 DNAは細胞外では、損傷・拡散してしまい、ゲノムとしての機能を失います。そのため細胞外でゲノムを維持することは困難です。我々は、脂質二重膜小胞(リポソーム)を用いて、細胞外で核と染色体構造を維持する方法の開発に取り組んでいます。その方法として、リポソームと真核細胞を膜融合させ、核をリポソーム内に内封させた細胞外核モデル(in vitro 核モデル)を構築する方法の開発に取り組んでいます(図1)。さらに、この in vitro 核モデルを用いて、染色体上の遺伝子発現と染色体の構造を切り離すことで、染色体構造の制御機構を直接的に解析することや、染色体構造を人工的に再構成することを目指しています。また、現在、生物のゲノムを合成し、人工ゲノムによって駆動する人工細胞を構築する動きが世界で始まっています。In vitro 核モデルは、このような人工ゲノムを維持し、複製し、機能させる反応場としても重要な構造になると期待されます。

エピジェネティクスとは?

 人間の子供は「人間」、犬の子供は「犬」、ネズミの子供は「ネズミ」、多分みなさん当たり前のことだと思っていると思います。突然人間から「犬」が生まれたり、人間から「サル」が生まれたら吃驚ですよね。そして、少し生物を勉強したことがある人だとこの特異性は「DNA」と呼ばれる遺伝物質によって決定されていることは知っていると思います。ヒトであれば「お父さん」、「お母さん」から DNA を受け継ぎ、受精という過程を経て、1つの細胞が分裂を繰り返し最終的には約60兆個の細胞から出来た「人間」という個体が出来上がります。しかし、ここで疑問に思ったことはありませんか?細胞分裂は基本的には全く同じコピーを作ります。もともと1つの細胞から分裂を繰り返すということは、全ての細胞が同じ DNA を持っていることになります。ではなぜ、分裂を繰り返すと強大な大きな丸い固まり“○”にはならず、目は目に、鼻は鼻に、個々の臓器はきちんと規則正しく、正しい位置に臓器を形成し、きちんとした人間が出来るのでしょうか?つまり DNA の継承だけでは説明が付かず、その他に何か重要なものがあることを示しています。このように DNA 配列に依存せず、遺伝子の発現機構が何かしらにより調節され、個々の細胞の特性を出している、しかもこの情報は世代を超えて受け継がれていく、この現象を総称して「エピジェネティクス」と呼んでいます。一卵性の双子は全く同じ DNA 配列を持っているため、見た目はそっくりですが、よく観察すると性格をはじめ、いろいろと異なっている点があるのも代表的な「エピジェネティクス」の例の1つです。また、近年、後天性疾患をはじめとする様々な疾患が「エピジェネティックな遺伝子の発現調節機構」に起因することが明らかとなり注目を集めています。

出芽酵母とは?

 出芽酵母はご存じの通り、ビールやパンを作る際に利用されており、染色体を16本持つ単細胞の真核生物です (下図2)。
図2:出芽酵母
 1世代約2時間と分裂速度が速く、大量培養も容易に行えます。また、出芽酵母はいち早く全ての DNA 配列が決定されたため、データベースが充実しており、遺伝学的解析、生化学的解析等様々なアプローチが容易に行えます。勿論全てではありませんが、 DNA 複製、DNA 修復、老化現象等、生物にとって重要な機能も保存されています。我々が注目している「エピジェネティクス」は出芽酵母にも存在しており、我々の解析で最も重要な出芽酵母の特徴は、芽が出て分裂するため母細胞、 娘細胞を見分けることが容易であり、世代を超えた解析に大変適している点です。また、出芽酵母は分裂を繰り返すと肥大化してくる特性があり、1度も分裂をしていない若い細胞と、分裂を繰り返し老化してきた細胞を分離することも可能です。更に、下記図3のように、カルコフラワー染色をすることにより、その酵母が何回子供を生んだかも知ることも出来ます。
図3:カルコフラワー染色した酵母 (1つ1つの輪から子供が生まれたことを
表しています。 この酵母の場合12回、娘細胞を放出しているのが分かります。)

サイレンシングとは?

 遺伝子サイレンシング機構は、酵母からヒトまで真核生物において幅広く保存された遺伝子発現抑制機構の1つです。一般的な遺伝子抑制機構は、発現を抑制したい遺伝子の上流に、特異的なタンパク質が運ばれてきて遺伝子発現を抑制します。しかし、サイレンシング機構は高次クロマチン構造と呼ばれる凝集したクロマチン構造を形成し、基本的には、この領域内に含まれる遺伝子は種類に関わらず発現が抑制されます。出芽酵母ではテロメア領域、性を決定する HMRHML 領域、rDNA 領域がサイレンシングされている領域として知られています。

リポソームとは?

 リポソームは、脂質二重膜でできた小胞で、中に様々な分子を入れることができます(図 2A)。タンパク質のような高分子も入れられ、RNAの複製反応やタンパク質の翻訳反応など、単純な生化学反応がリポソームの中に封入できることが分かっています。リポソームの作成方法はいくつか報告されており、その中でも界面通過法は、細胞のように脂質二重膜が一枚のリポソームを容易に作ることができます(図 2B)。