(2)陶磁器をよく買います。
 陶磁器といっても、伊万里や有田の磁器がほとんどで他の産地や陶器は
めったに買いません。以前から、食器類には興味があったのですが、本格的に買い始めたきっかけは
神戸大震災でした。 神戸の実家も震災の被害を受けたのですが、阪急以北の地盤の堅い場所だった
ので家はほんの少し傾いただけで済みました。壁際や階段をよく見ると元々直角に交わっていたはず
なのに1cmくらいの隙間が出来ています。何カ所かのドアが閉まらなくなったので、上部をかんなや
カッターナイフで削りました。震災の翌日になって、ようやく湖西線が開通したので、JRで大阪まで
行きました。阪神に乗り換えかろうじて通じていた尼崎まで行って、知人に自転車を借りて神戸市灘区
まで4時間かけて押して行きました。乗って行けなかったのは、当座の食料と水を詰めた重いバッグを
持っていたのも理由の一つですが、神戸市内にはいると国道2号線の両脇の民家や商店が崩れて歩道を
塞いでおり、ガラスの破片や釘の付いた板切れを避けながら歩道上を進むか車道を進む必要があった
からです。車道は東へ避難する自動車で大渋滞を起こしており、自転車1台がやっと通れる隙間を、
やはり東へ向かって歩いている歩行者と対向するには押して行くしかありませんでした。午後9時頃に
ようやく実家にたどり着きましたが、家の中はタンスや本棚、食器棚が倒れてぐしゃぐしゃでした。
ここで話は元へ戻りますが、実家にあった古伊万里の食器のかなりが破損してしまったうえ、無事だった
ものまで余震で壊れそうなので福井へ持ち帰ったのが陶磁器蒐集のきっかけとなりました。
 実家にあった古伊万里は観賞用ではなく、実用品でしたので色絵、特に金彩はかなり落ちています。
終戦後神戸に戻った父親が博多の実家から食器を送って貰ったそうですが、これが今で言う古伊万里の
食器だった訳です。毎日食事に使っていて珍しいとも思わなかった食器が、現在では骨董の雑誌に
載っていたりします。漱石の小説に出てくる三四郎と同じように熊本の五高から本郷の文科大学史学科
を卒業して旧制中学に勤め、佐賀に始まって北は秋田県まで移り住んだ祖父が結局博多に落ちつくまで、
長い間佐賀に住居を構えていたので蔵にあった食器が古伊万里でも不思議はないのでしょう。先日、現在
叔父が住んでいる博多の家を訪ねましたが、出てくる食器類は小皿にいたるまで全て有田か伊万里でした。
 菩提寺が伊万里市の大川内(鍋島藩窯で著名な大川内山への入り口にあります)にあるので、墓参り
を兼ねて、大川内や有田の窯元へこれまで2回行きました。行く度ごとにかなりの量を買ってくるのと
連休明けに福井で開催される有田焼き市でも買うので、自宅の食器はほとんど鍋島か有田になってしまい
ました。18世紀ぐらいからの古伊万里(上記のように子どもの頃には自宅で使用していたものですが)
の他に先々代の柿右衛門窯の茶器などは値打ちものですが、最近の有田焼きの茶器揃いや小皿揃いも
何種類かずつ持っています。残念ながら、飾っておく場所もないので大部分押入にしまってあります。
 自分で買うときは、有田焼では香蘭社、深川製磁、棋泉など、伊万里(鍋島)焼では魯山、青山、畑萬陶苑
(高い!)などを選ぶことが多いのですが、実際に訪ねたことがある窯元のものを買ってしまうようです。
有田・伊万里以外では、景徳鎮の食器を揃えています。福井では滅多に見ませんが、神戸南京町の中国
雑貨の店で、家庭用の染め付けのお皿やお腕を一つ500〜1000円で買うことが出来ます。

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