高橋グループ (I Takahashi Group)

1‐1 生体模倣化学について
現代の生化学の進歩には、非常に目覚ましいものがある。それは、化学、物理で得られた知見が生命現象の探求に寄与する一方、生命現象の解明によって得られた機構が化学、物理にフィールドバックされて大きな成果をもたらしているからである。前者の例では、遺伝子組み換えに代表されるバイオテクノロジーの進展などが挙げられる。また、後者では、生体反応の仕組みを人工的に具現しようとする“biomimetic chemistry”の展開を促進する原動力となっている。また、その中で現在最も盛んなのは、酵素をモデルとする触媒反応の開発である。
酵素反応の特徴はスタート時においてカギとカギ穴の関係に例えられるように、酵素がこれにぴったりフィットした基質を認識・識別し、これを取り込み定まった構造をもつ錯体を生成する点にある。


酵素動力学の一般式に従うと、第一段階ではScheme 1で示されるように、ホスト酵素Eがゲスト基質Sを何らかの相互作用により取り込み、酵素‐基質複合体ESを形成する。この取り込みには、イオン結合、水素結合、電荷移動相互作用、疎水性相互作用、配位結合などの種々の力により基質が酵素の反応部位へ取り込まれ、取り込まれた基質と酵素と酵素の間でのリンク形成が起こり、その結果として基質と特定の触媒官能基とが結合生成が可能な距離にまで接近し、特異的に効果が発揮される。このようなことから、酵素の持つ選択性、制御能力、反応加速性などの優れた特異的機能は、ホスト・ゲスト現象によるES複合体形成の過程の時点により決定されているといえる。


生体をモデルとする化学探究の方法論として最も重要なことは、生体機能の中から目的とする機能だけを取り出した上で、如何にしてその機能発現の仕組みを人工的に再構築し、元の系よりもより効率的に利用できるかという点にある。その意味から、生体反応の初期段階として重要な役割を演じる酵素・基質複合体合成のような、ホスト・ゲスト現象を人工的に実現する“ホスト・ゲスト ケミストリー”が生まれた。

1-2 大環状ホスト化合物
ホスト・ゲスト現象自体は、19世紀半ばから知られていた(最も初期の報告は気体や液体の水化物の固体であった)。しかし、上で述べたフィロソフィーに基づく研究が盛んになったのは1960年代になって、6~8個のD‐グルコースが環状に縮合したオリゴ糖であるα~γ‐シクロデキストリン(Scheme 2)が、水溶液中で空孔内に疎水性分子を取り込み、環の周縁にある水酸基がゲストの加水分解(アシル転移)に特異な触媒作用を示すという、酵素に類似した機能を持つことが明らかにされてからである。


シクロデキストリンと同様に疎水性の空孔を持つホストにシクロファンがあり、その最初の例は1955年に報告された。シクロファン環を構成する芳香環とメチレン鎖によってこの空孔は形成され、シクロファン上に親水基を導入して水に可溶にすると水溶液中で疎水性ゲストを取り込むことができる。また、シクロデキストリンが半人工的なホストで、空孔の大きさがグルコース残基の個数に応じて決まっているのに対して、シクロファンは純人工的なホストで空孔の大きさや構造を自由にデザインできる上に、化学的な修飾を施すことができる。
更に、同じ頃に大環状ポリエーテルの一種であるジベンゾ‐18‐クラウン‐6(Scheme 2)が単離され、これが非水溶液中でアルカリ金属イオンを空孔内に取り込んで安定な錯体を形成することが見出された。後者においては、引き続き一連の大環状ポリエーテルが合成され、その化学構造と空孔径に適合した金属イオンを選択的に取り込む性質や、その形状から、クラウンエーテルと名付けられた。


今までに述べた、シクロデキストリン、シクロファン、クラウンエーテルの3つは現在研究されているホスト化合物の母体となるものである。水溶性のゲストには、必ず疎水性の部分が存在するため、ホストがゲストを取り込む際には、疎水性相互作用に基づく取り組みが主となる。その場合、静電的相互作用補助的にしか働いていないが、特定の条件の下では効果的に働き、疎水性相互作用を補完してゲストをしっかりリンクする働きをなす。空孔の疎水性を低下させることなく静電的相互作用の可能なヘテロ原子を導入することができれば上で述べた特徴を持つ分子レセプターを構築することが可能となり有機化学の分野だけでなく他の領域にも応用が期待できることになる。そのような見地から1984年、高橋は光学活性なシクロファン(Scheme 3)を合成し、その機能についての研究を行った。シクロファンはジフェニルメタン骨格を有しており、芳香環が立って互いに向き合った“face”コンフォメーションをとった時に深みのある取り込み内孔を形成し疎水性のゲスト分子を取り込み、分子キラリティーの認識も可能な分子である。


1-3 クレフト型ホスト化合物
最近になって、従来のような大環状のホストの他に、開環式化合物でもホスト機能を示すことが報告された。1990年、schneiderはアロステリックな開環式化合物(Scheme 4)をデザイン・合成した。

このホスト化合物は極性部位Bで金属イオンMを配位させることで疎水性ポケットA を形成させ、これは水溶液中で親油性ゲストLを取り込むことができると考えられている。また、金属イオンM=Cu2+の時はL=ナフタレン、M=Zn2+の時はL=ダンシルアミンというように、金属イオンMの種類を変えることで異なるゲストを取り込むことができるという特徴を持っている(Scheme 5)。